町境の謎

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 先日、ネイチャーセンターを訪問された方から、「野付半島に入ってしばらくは標津町なのに、どうして急に別海町になるんですか?」とご質問をいただきました。

 一瞬考えて「野付半島の基部は標津町と関係が深く、先端部は尾岱沼地区と航路があってつながりが強いから」という仮説に到達しましたが、もちろん確証などございません。近隣在住の方でしたので、「次回、いらっしゃる時までに調べておきます」とお約束いたしました。

 仕事の合間にパソコンで検索してみましたが、なかなか解答にたどり着きません。諦めかけた頃に、別海町郷土資料館の石渡様よりご教示いただきました。私なりに要点をまとめますと、以下のようになります。

戦後しばらく経って(今から65年ほど前)、現在の標津町と別海町との間で、野付半島における町境を巡って紛争が表面化→根室支庁に町境問題が持ち込まれる→大正時代の文献に(当時の)村の境が明記してある→ゆえに、その地点を別海・標津両町の境とする。

 以上の経緯で、野付半島の途中で町境が存在する理由がわかりました。ネイチャーセンターで自然だけではなく、歴史も勉強できて有意義な時間でした。別海町郷土資料館の石渡様、ありがとうございました。

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